全身全霊で夢中になっている人を見ると「負けた」と思います。ビートたけし(芸人)弔辞より
全身全霊で夢中になっている人を見ると「負けた」と思います。ビートたけし(芸人)弔辞より
記事によると、芸人はたけしさんにとって、一番やりたかったことではなく、本当は研究者になりたかったとのこと。
だからノーベル賞受賞者に対して嫉妬するとも述べいます。
その結果、自分は芸人の仕事に全身全霊を捧げられなかった、と。だから。
全身全霊で夢中になっている人を見ると「負けた」と思います。ビートたけし(芸人)弔辞より
これほど成功し、これほどお金も稼いだであろうたけしさんも、本当にやりたいことを見つけ、それに打ち込んでいる人には及ばないと認めている訳です。
では、成功とは何でしょう。
他人に評価されること?お金をたくさん稼ぐこと?
それも外側から見れば成功かも知れませんが、本当の本当は、心底やりたいことを見つけて、それに全身全霊を注ぐこと、また、そんな瞬間を持つことなのではないでしょうか?
そう考えると、僕らが真に人生の成功者になりたいのならば、他人に評価されることや、お金がたくさん儲かりそうなことを探すのではなく、本当に自分がやりたいこと、自分が全身全霊を注げるものを探すべきなのではないでしょうか?
「人間のあらゆる努力とは、自由を増やそうとする努力にほかならない」(トルストイ 小説家)
「人間のあらゆる努力とは、自由を増やそうとする努力にほかならない」(トルストイ 小説家)
この言葉通り、僕らは本当は自由を求めているとする。
かつて、飢えや、それに伴う死から自由であろうと、人々は必死に働いた。そうしなければ人々が生きていくための食糧生産が追い付かなかったからだ。
しかし、今の僕らは、どうだろう。少なくとも、先進国に住む人々にとって、飢えは近くには無い。
実際に現代において食糧生産に携わっている人は人口の2%に過ぎない。
本来であれば残りの98%の人々、もしくは98%の時間は、人々は自由を謳歌していていいはずだ。
しかし、実際はどうだろう。僕らは自由だろうか。
テレビ、インターネットはもちろん、家族、友人、つまりは世間が僕らを良き消費者であることを強要する。
新しい物を買え、隣と比べろ、人より良い暮らしをしろ、それが出来なくてもせめて人並みの暮らしをしろ、と。
同時に多くの人は良き消費者であるためには良き労働者であることも強要される。なぜなら、人並みに暮らすには人並みに働かなくてはならないからだ。
結果、僕らはもっと自由であっていいはずなのに、より稼ぎ、より使う事を強要され続けている。
「人間のあらゆる努力とは、自由を増やそうとする努力にほかならない」(トルストイ 小説家)
ぼくらの努力は自由を増やしているだろうか、と考えてしまう。
金を持っていれば自由に何でもできるという考え方もあるだろう。ならば世界の大富豪たちは誰よりも自由だろうか?
彼らは、どこに行っても、誰と会っても、何をしても、評価され、批判される。多少の忖度はあるだろうが、あからさまに法を犯すようなこともできない。
もちろん、金があれば、他人の自由を金で買うことはできるだろうが、それは他人の自由を奪うことで、逆に世界に存在する自由の総量を減少させる行為だ。
僕らは本当はもっと自由になれるはずだ。本当に必要なモノだけを求め、本当に必要な分だけが稼ぎ、本当にやりたいことを見つければ。
僕らは飢えからは自由になったが、消費と労働の牢獄に閉じ込められたままだ。
「やりたいことがないのなら、とりあえずやりたくないものをやめてみたら」(木下紫乃 スナックママ)
「やりたいことがないのなら、とりあえずやりたくないものをやめてみたら」(木下紫乃 スナックママ)
「やりたいことがない」
高校生に進路指導をした時の答えのようですが、結構、大人になってからも「自分は何がしたいのだろう」と悩むことは多いものです。(俺だけ?)
不思議なもので「やりたいこと」はわからなくても、「やりたくないこと」は結構、はっきりしているものです。
大人になると、我慢を覚えてしまうので、結構やりたくないことを抱え込んでいたりします。
近所付き合い、親戚付き合い、子供の世話を止めてしまうのどうかと思いますが、いい大人の旦那の世話とか、何なら今の仕事とか。
やりたくないことをやめるために、新しいことを始めてみるという人生の展開も、十分ありだと思うのです。
誰もが、やりたいことをやって人生を切り開いていくというヒーロータイプではないのですから。
「人間が不幸になるのは、自分とは似ても似つかぬものをマネするからだ」(出典不明)
「人間が不幸になるのは、自分とは似ても似つかぬものをマネするからだ」(出典不明)
この言葉は楠木教授が口にしているが、名言として発言しているので、彼自身の言葉ではないと考えて出典不明とした。
そのままGoogleで検索したが、楠木教授の発言以外は見当たらなかった。
「人は何にでもなれる」なんて、青春ドラマのような言葉には真実を伝える力がないことは、わかるぐらいの年齢になったので、この
「人間が不幸になるのは、自分とは似ても似つかぬものをマネするからだ」(出典不明)
という言葉は心に響く。
この言葉には、不幸を避けるためには自分がどんな存在なのかを知る必要があるということを言っている。
自分がどんな存在であるかを知らなければ、マネをする対象が自分と似ているかどうかも、わからないからだ。
そう考えると幸福になるには、ある程度の年齢に達する必要があるとわかる。
自分が何者かがわかるには時間が必要だからだ。
自分は結婚に向いてないとか、自分は誘惑に弱い人間だとか。
ぼくも含めて自分が何者かわかりかけてきた中年の皆さん、幸福になるのはどうやらこれからのようです。
『理性で作った制度なら完璧だと思っていても、人間の「弱さ」を前提としていないものは、砂上の楼閣とほとんど同じである』(宮崎智之『平熱のまま、この世界に熱狂したい』より)
『理性で作った制度なら完璧だと思っていても、人間の「弱さ」を前提としていないものは、砂上の楼閣とほとんど同じである』(ライター宮崎智之『平熱のまま、この世界に熱狂したい』より)
この例として思いつくものは何だろうと少しばかり考えてみた。
例えば共産主義。人はウソをつくし、怠けるのだ。
逆に資本主義においても、合理的な人間しかいないという前提に立つ古典的経済学。
離婚が許されないカトリックにおける結婚も例として挙げたら叱られるだろうか。
人が人を裁くのに誤ることを前提としていない死刑制度もその一つだろう。
人は弱い。人はとても弱い。
だから常に誰もが失敗する可能性があると考え、やり直せる社会、立ち直れる社会を作ることが、弱い人間の集まりである社会を、より強い社会にする方法なのではないかと、そんなことを考えた。
『理性で作った制度なら完璧だと思っていても、人間の「弱さ」を前提としていないものは、砂上の楼閣とほとんど同じである』(ライター宮崎智之『平熱のまま、この世界に熱狂したい』より)
『本当に何かが好きで成功する人って、周りが何と言おうとやっているんですよね 「好きなものを見極めよう」と思っている時点で、実はもう向いていないんですよ』ひろゆき(2ちゃんねる開設者)
『本当に何かが好きで成功する人って、周りが何と言おうとやっているんですよね 「好きなものを見極めよう」と思っている時点で、実はもう向いていないんですよ』ひろゆき(2ちゃんねる開設者)
凡人の自分には、この言葉はとても、つらい。
「自分が何が好きなのだろう」なんて考えている時点で、もう駄目だと言われているのですから。
しかもその言葉を裏付ける例が山ほどあります。成功者たちの多くは若いころから、自分が何が好きかをわかっていました。
ビル・ゲイツは中学生の頃からコンピューター室に入り浸っていたし、
ウォーレン・バフェットが最初の株式投資をしたのは11歳の時です。
では、もはや僕らは絶望するしかないのでしょうか。
希望はあります。なぜなら僕らは謙虚だから(笑)。
彼らほどの大成功を望みはしない。いや、成功する必要はなのですから。
やりたくないことばかりやる人生から、やりたいことをやる人生にシフトチェンジするのに遅すぎることはありません。
やりたいことがやれるというだけで十分な報酬なのです。
そう思うとできるだけはやく「好きなこと」を見極めたいですよね。
僕なりに考える方法はいくつかあります。
一つは過去の自分に聞く事。自分自身の胸に手を当てて聞いてもいいし、親に聞いてもいい。自分でも覚えてないような自分の嗜好が出てくるかもしれません。
例えば、親から「おまえは、いつも道ばたで蟻を捕まえては一匹ずつ名前を付け。それを食べていた」という仰天エピソードが出てくるかもしれない。
まず思い出してみましょう。子どもの頃、好きだったことを。それがお金になるか、とか、それで将来食べていけるかという雑音にかき消される前にに、自分が大好きで夢中になれたことを。
それこそがあなたの長年探していた「好きなこと」、もしくは「好きなこと」の周辺なのかも知れません。
昆虫採集が好きならば、あなたは何かを勉強して、それを探し出すという行為が好きなのかもしれない。
仕事にならなくてもいいが、それに近い仕事を始めるという手もあります。
掘り出し物を探す仕事なんてどうでしょう。
古書、骨董品、不動産、株、債券、なんでも掘り出し物はあるはずです。どれも熱心な勉強と、探すという行為が好きでなければできない仕事です。
昆虫図鑑を片手に昆虫採集に夢中になっていたあなたには最適な仕事かも知れない。
もちろん、もう一度昆虫採取に戻って、死ぬまでに新種を見つけるという野望に、情熱を傾けてもいい。日本にはプロではない市井の昆虫学者がたくさんいるのですから。
子供の頃から、暇さえあればお絵描き帳を開いていた子供だったならば、もう一度、絵を描くべきです。
ラインスタンプを作ったり、Webでイラストを発表したっていい。今の時代は誰でも世界に作品を発表できる素晴らしい時代なのです。
8歳の時、夢中だったことを、45歳で改めて初めても「8歳の時からイラストを描くことに夢中で、今でも描いているんですよ」と言っても嘘にはならない。ビル・ゲイツやバフェットにも負けない立派な経歴だ。ただ、ちょっと長いお休みがあっただけで。
もう一つ、今度は今の自分に訊いて自分が好きなことを見極めるための方法として、皆さんにオススメしたいのは、お金にならないことで、自分が一番、飽きずに続けられることを見つけるということ。
お金にならないというのは重要で、大人という生き物は働き者で、お金になるのなら、簡単に一日中それを続けることができるからです。人々はそれを労働と呼ぶのです。
その労働から離れて自分の好きなことを再発見しようというのに、結局、お金のために労働していました、では、悲しすぎます。
そして、自分の好きなことの再発見では大切なことは、それが消費ではないこと。
ひろゆき氏(2ちゃんねるの開設者)もこんなことを言っています。
『僕、消費をするだけの人は一生幸せになれないと思っていて なぜなら、幸せを感じ続けるためにずっとお金を使い続けなくてはならないから』ひろゆき(2ちゃんねる開設者) - 買わない働かない生活 賢者の言葉
一日中、ゲームで遊んでいられるとか、小説やマンガを読んでいられるとか、ディズニーランドなら何日通っても飽きないというのは、誰かがあなたを夢中にされせるために必死にやった成果で、あなた自身の内から沸き上がった衝動ではなく、外から与えれた快楽。消費行動でしかありません。あなたの本当の「好き」を見つける助けにはならないのです。
消費は結局、労働から得た対価を支払って行うもので、今までの、働いて必死に稼いだお金を、消費という一時の気晴らしに使ってしまうという、あまり幸福とは言えない生活パターンそのままです。
一日中、イラストを描いていられるとか、一日中、料理のレシピを考えていられるとか、一日中、動画を作っていられるとか、ウクレレだったら一日中、弾いていられるとか。
何かお金にならなくても一日中、やっていられることは、見つからないでしょうか。
見つかったら、あとはそれを続けるだけ、運よくお金になれば、今やっている仕事を辞めることができますし、お金にならなくても、気にすることはありません楽しくてやっているのですから。
ただ一つ、気を付けて欲しいのは、人生で見つけた楽しいことにも、すぐに資本主義の毒、他人の評価の毒が回ってきます。
よく「趣味は趣味のままで仕事にしない方が良い」というのは的を得ていて、いつの間にか描きたい絵ではなくて、お金になるな絵を流れ作業のように大量生産していたとか、過去に他人に評価されたスタイルに縛られていたとか。
楽しくてやっていたことが、いつの間にか、お金を稼ぐための仕事に変わり、歪められ、変容し、本当にやりたかったことから遠ざかってしまうというのはよくあることです。
大好きでやっていることが、あれ?以前ほど楽しくないなぁと思ったら、お金の毒や、他人の評価という毒というものを疑ってみてください。
お金の毒から身を守るためにも、生活は質素にしておいた方が、実は人生は豊かになるのです。
リッチな生活をしていれば、お金のために、その生活水準を守るために、結局、やりたくないことやるはめになります。
とにかく夢中になれることをもう一度、見つけてみる。
それがビル・ゲイツやバフェットのような大成功することはなくとも、もう一度、自分の人生を再発見する第一歩、幸福になる第一歩になると、ぼくは思うのです。
『僕、消費をするだけの人は一生幸せになれないと思っていて なぜなら、幸せを感じ続けるためにずっとお金を使い続けなくてはならないから』ひろゆき(2ちゃんねる開設者)
『僕、消費をするだけの人は一生幸せになれないと思っていて なぜなら、幸せを感じ続けるためにずっとお金を使い続けなくてはならないから』ひろゆき(2ちゃんねる開設者)
これはお金があれば幸せになれると思っているひとに対する強烈な一言だと思う。
例として、食べるということについて考えてみる。
お金を払って料理を食べるということで幸せになれるとしても、同じレベルの店ならば、それすぐに当たり前の味、当たり前のレベルになって幸せを感じられなくなってしまう。
さらに高級店、さらに高級店と期待値は上がり続け支払うお金は増え続ける。もしあなたが無限にお金を持っていても同じこと、高級料理にも限界があるし、途中から、おいしいかどうかではなく、希少食材、ゲテモノ食いにハマり込むことになりそうだ。
一方で同じ料理でも、途中から、自分で料理を作り始めると世界は変わる。消費する側ではなく、クリエイトする側になるのだ。すると、その世界は大きく広がる。
自分の料理の腕を上げるだけではなく、食材を知らなくてはならないし、農業、つまり本当の生産にも手を出すことになるかも知れない。食べる人のことも知らなくてはならないだろう。
お金だけでは解決できない。むしろお金では解決できないような課題が、あなたを楽しませてくれる。まさに一生を費やす価値のあるゲームだ。
そして、その間ずっとあなたは幸福でいられる。何しろ自分が興味を持った世界の探検を一生続けられるのだから。