『理性で作った制度なら完璧だと思っていても、人間の「弱さ」を前提としていないものは、砂上の楼閣とほとんど同じである』(宮崎智之『平熱のまま、この世界に熱狂したい』より)

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『理性で作った制度なら完璧だと思っていても、人間の「弱さ」を前提としていないものは、砂上の楼閣とほとんど同じである』(ライター宮崎智之『平熱のまま、この世界に熱狂したい』より)

 

 この例として思いつくものは何だろうと少しばかり考えてみた。

 

 例えば共産主義。人はウソをつくし、怠けるのだ。

 

 逆に資本主義においても、合理的な人間しかいないという前提に立つ古典的経済学。

 

 離婚が許されないカトリックにおける結婚も例として挙げたら叱られるだろうか。

 

 人が人を裁くのに誤ることを前提としていない死刑制度もその一つだろう。

 

 人は弱い。人はとても弱い。

 

 だから常に誰もが失敗する可能性があると考え、やり直せる社会、立ち直れる社会を作ることが、弱い人間の集まりである社会を、より強い社会にする方法なのではないかと、そんなことを考えた。

 

『理性で作った制度なら完璧だと思っていても、人間の「弱さ」を前提としていないものは、砂上の楼閣とほとんど同じである』(ライター宮崎智之『平熱のまま、この世界に熱狂したい』より)

 

平熱のまま、この世界に熱狂したい 「弱さ」を受け入れる日常革命