『お金で幸せになれると思わない ほかの人と比べない 突き詰めるなら、これだけ守っているだけで、そんなに不幸せにならないと思います』ひろゆき(2ちゃんねる開設者)

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『お金で幸せになれると思わない ほかの人と比べない 突き詰めるなら、これだけ守っているだけで、そんなに不幸せにならないと思います』ひろゆき(2ちゃんねる開設者)

 

「何もお金で幸せになれるとは思っていない」と多くの人は言うでしょう。しかし、本当にそうでしょうか?

 

 

 では、なぜあれほどの人が宝くじに人生の夢を賭けるのでしょうか?

 

 宝くじほど、ギャンブルとして面白みのないものはありません。戦略も無し、技量もなし、運のみです。

 

 しかし、宝くじは一等の当選金額が数億円と大きく、人の人生を大きく揺さぶるほどの額です。

 

 だから宝くじさえ当たれば、自分の人生は好転して幸せになれる。誰もがそう信じているのです。

 

 宝くじが当たったら、どうするのか、家を買う?車を買う?それで幸せになれるのでしょうか?幸せとはそんな簡単なものでしょうか?

 

 仕事を辞める?

 

 それは、つまりはお金さえあれば、仕事を辞めてしまいたい。世の中に数ある仕事の中で、そんな仕事をわざわざ選んで人生の貴重な時間を浪費しているということですね。それは給料が高いからですか?

 

 こうしてみると、我々がお金のためにどれだけ幸せを諦めているか、わかります。しかもお金のために、わざわざやりたくない仕事を選んで、働いているのに、幸せではない。

 

 その証拠に宝くじを当てて今の生活を変えたいと思っているのですから。

 

 お金で幸せになれるというのは幻です。お金で得られる幸せを消費と言います。読んで字のごとく消えてなくなるのです。

 

 消費を続ければいいじゃないかという考え方もあると思いますが、消費の刺激はすぐに慣れます。すぐにもっと高級なもの、もっと贅沢なものでなければ幸せを感じなくなります。

 

 毎日、高級な飲食店に行っても、それはあっという間に日常に変わります。そして、もしもお金を失うなどして、店のランクが落ちれば、自分は落ちぶれたのだと、実感させられるのです。

 

 だからこそ、お金では買えない自分だけの幸せを見つける必要があります。

 

 それは朝のヨガかも知れませんし、朝の2度寝かも知れません。パートナーとの夕暮れの散歩かも知れませんし、夜に飼い猫と布団に入る瞬間かも、知れません。

 

 これらの幸せは刺激的ではありませんが、とても強固なものです。なぜなら他人と比べる必要が無いからです。

 

 ヨガの達人を目指すのでなければ、上手い人のヨガを見て凹む必要もありませんし、朝の二度寝や、パートナーとの夕暮れの散歩、飼い猫との夜の就寝に至っては、どうやって他の人と比べて優劣をつけるのか、わかりません。

 

 一方で趣味のプラモデル作りとか、釣りとか、絵を描くとか、小説を書くとか、その手の趣味は注意が必要です。

 

 黙々とやっている分には楽しく、幸せな時間を過ごしているののに、うっかりそれを他人と比べてしまうと、花が萎れるように、つまらないもの、時にはつらいものに変わってしまいます。

 

 自分より上手い人、自分より人気のある人を見つけたとたん、自分のやっていることが、くだらないことに思え、他の人に勝ちたいと思ったとたん、大好きだったことが苦行のように思えたりします。

 

 さらにインターネットが普及してからはどんなにマイナーな趣味でも、比べる誰かを見つけることができてしまいます。

 

 ですから「ほかの人とくらべない」というアドバイスはとても重要なのです。

 

 

 

 

 

 

 

『人と比較しないで幸せだなって感じられるものを見つけたほうが、人生で楽しい時間は長くなります』ひろゆき(2チャンネル開設者)

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『人と比較しないで幸せだなって感じられるものを見つけたほうが、人生で楽しい時間は長くなります』ひろゆき(2チャンネル開設者)

  とても大切にしていた宝物が、他の人と比べたとたん、急に色褪せて見える。

 

 人生には時折、そういう悲しいことが起きます。

 

 例えば毎日、数十人がアクセスしてくる小さなブログを楽しくやっていたとします。

 

 ところが、誰かインフルエンサーのブログと比較したとたん、自分がとても小さく、自分のやっていたことがくだらないことに思えてくるのです。

 

 アクセス数は数千、いや数万分の一、嬉しかった数十人のアクセスもゼロと同じような気がしてきます。

 

 あんなに楽しかったのにもうブログを続ける気力は無くなってしまいます。

 

 ブログを書いていて楽しい。それだけでブログをやっている価値は十分にあったのに、です。

 

 こんな例もあります。

 

 ある女性に友人がいました。長い間独身だったその友人が若く素敵な男性と結婚しました。それを見た女性は、急に自分の夫が年老いて汚らしく見えてきたと言います。

 

 大好きな旦那さんだったのに、です。

 

 他人と比べることの「毒」は凄まじいものがあります。

 

 現代社会はネット社会なので、簡単に比較対象が見つかります。

 

 インターネットが普及する以前だったら、比較対象など見つからなかったような趣味にも、自分よりずっと上がいると思い知らされます。

 

 牛乳瓶のフタ集めも、ねこのヒゲコレクターも、ネットで検索すれば、自分より上がいると思い知らされるのです。

 

 ですから比較対象から完全に逃れることはできません。できることはできるだけ比較しないこと。自分の中の「楽しい」とか「幸せだな」を大切にすることです。

 

 年老いて汚らしく見える旦那さんも、世界で一番、あなたを理解してくれている人であり、世界で一番、あなたと過ごした時間の長い相手なのですから。

 

 

 

 

 

『「いかにして競争せずに幸せになるか」を意識すること これだけで、あなたの未来から「損」が減って、「得」することが増えるかもしれません』ひろゆき(2ちゃんねる開設者)

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『「いかにして競争せずに幸せになるか」を意識すること これだけで、あなたの未来から「損」が減って、「得」することが増えるかもしれません』ひろゆき(2ちゃんねる開設者)

 

 現代社会は勝負けを、重視しすぎているきらいがあります。

 

 テレビをつければランキング番組が花盛りですし、政治では「そんなことでは国際競争には勝てません」が決まり文句、未だに「70年前の敗戦が日本をダメにした」という論調は大人気です。ファッション誌では結婚までも「婚活で勝てるモテかわコーデ(意訳)」などという特集が組まれたりしています。

 

 どうしたら幸せになれるのか?の方が、勝ち負けよりも、大切だと思うのですが、世のなかに流れている意識としては勝ち負け10で、幸せ1という感じです。

 

「小学校では運動会で順位をつけなくなったというじゃないか」という意見もあると思いますが、あれも結局、勝ち負けが重視され過ぎて、負けた子供があまりにかわいそうだから、みんなで手をつないでゴールをしようという発想になるわけで、勝ち負けがどーでもいいと思っていたら出てこない考え方です。

 

 また、こういう意見もあるでしょう。「勝って初めて幸せになれる」と。

 

 しかし、そもそもなんで競争するのでしょう。

 

 それは価値観が外から与えられたもので画一的だからです。赤い玉に最高の価値があると言われれば、誰もが赤い玉を求めて、結果として、争いが起きるのです。

 

 世の中には赤い玉だけでなく、黄色い玉も、青い玉もあるのに、見向きもせず、誰もが、みんなが欲しがっているという理由で、赤い玉を欲しがり争うのです。

 

 ひろゆき氏の言う「いかにして競争せずに幸せになるか」というのは本当は自分は青い玉の方が好きなんじゃないか、と一度、自分の心に聞いてみるということなのだと思います。

 

 婚活で言えば、世の中には同じぐらいの数の男と女が生きています。ペアを作ることは数学上それほど難しいわけではないのです。

 

 誰が見ても美女と結婚しようと参戦するより、僕だけのマドンナを見つける。

 

「彼女のいいところは、この僕だけが理解している」

 

 なんてロマンティックなのでしょう。

 

 誰もが狙うお金持ちを狙うよりも、わたしだけのパートナーを見つける。

 

「彼はお金は無いけれど、一緒にいるだけで暖かい気持ちになれるの」

 

 そんなこと言われたら天にも上る気持ちです。

 

 大切なのはみんなが欲しがる幸福ではなく、自分だけの幸福を見つけるということです。

 

 美女を助手席にフェラーリに乗って湾岸をぶっ飛ばす。誰もが憧れるシチュエーションです(本当か?)。しかし、美女もフェラーリも数が限られているので結局、誰がお金をたくさん払えるかという競争になります。

 

 一方で、あなたはそれよりも、早起きして座禅を組む方が幸せな人かも知れません。逆に朝寝坊して2度寝、3度寝することに至上の喜びを感じる人かも知れません。

 

 座禅も、2度寝も、他人と争う必要はありません。誰かに勝たなくては味わえない幸せではないのです。

 

 むしろ、誰かと争うということをやめることで初めて手に入る幸せとも言えるでしょう。

 

 人は「競争だ」と言われると思わず走り出し参加してしまう悲しい習性があるようです。しかしその競争の賞品が本当に自分が欲しい物かどうかをきちんと見極める。

 

 誰もが我先にと争っている場所があるなら、あえてそこから離れて自分だけの掘り出し物を見つける。そして、それをとことん楽しむ。

 

 それが、ひろゆき氏の言う「いかにして競争せずに幸せになるか」ということの鍵ではないでしょうか。

 

『期待値は下げられるだけ下げておくほうが絶対に人生トクなのです』ひろゆき(2チャンネル開設者)

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『期待値は下げられるだけ下げておくほうが絶対に人生トクなのです』ひろゆき(2チャンネル開設者)

 これほど簡単に幸せにつながる格言はなかなかありません。

 

 例えば人間はみな見えないサイコロを持って生まれてくるとします。このサイコロの出目でその人間には幸運・不運が訪れます。

 

 ここに二人の男がいます。

 

 Aの男のサイコロにはこう書かれています。1・1・1・2・2・3。

 

 Bの男のサイコロにはこう書かれています。4・4・4・5・6・6。

 

 人生は不公平ですね。生まれ落ちた時から持っているサイコロの目には大きな違いがあるのです。ちなみに、このサイコロは神様にしか見ることができません。

 

 この二人の男はどちらが幸福な人生を送ることができるかと言えば、普通に考えれば、後の男でしょう。強運のサイコロを持って生まれてきました。

 

 しかし、ここで期待値というものを考えてみましょう。サイコロの期待値ではなく、それぞれの男が自分の人生に対する期待値です。

 

 Aの男はとても期待値が低く、1の目が出なければ幸運だと飛び上がって喜びます。Aはサイコロを振ると2回に1回は飛び上がって喜ぶのです。

 

 一方、Bの男はとても期待値が高く、6の目が出なければ喜びません。ですからサイコロを振っても喜びを感じるのは6回に1回です。

 

 例えば二人がそれぞれ、恋をし、結婚したとします。

 

 Aのお嫁さんは家も貧しく、美人とは言えません。それでもAは自分と結婚してくれた女性がいたことを喜び、妻を大切にします。

 

 一方Bは、とても美人の女性と結婚したものの、その女性の美貌が永遠でないことが我慢できません。結婚生活はやがて破綻するでしょう。

 

 Aの人生には様々な困難が訪れるでしょうが、Aは人生のサイコロをふる度に2回に1回は喜びに包まれます。

 

 Bの人生は端からみれば輝かしいものとなるでしょうが、Bはサイコロを振る度に6回に5回は不満で舌打ちし、自分の不運を呪うのです。

 

 どうでしょう。こころの中で期待値を下げるということが、どれだけ大きな力を持つのか、わかるのではないでしょうか?

 

 もちろん期待値はいくらでも下げられるわけではありません。下げ過ぎれば人は行動をしなくなってしまいます。

 

 しかし、人間というものは知らず知らずのうちに結果の期待値を上げがちなもの、期待値をあげすぎないように意識することで、人生の喜びをより多く見つけられるのではないでしょうか。

 

「あれ?思ったよりいいぞ」という瞬間が多い人生。どうでしょう?

 

 

『僕個人はお金を使うことが嫌いなので、いくら稼ごうとも月の生活費5万円くらいの暮らしを崩したことがありません そして、それで十分幸せを感じて生きています』ひろゆき(2チャンネル開設者)

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『僕個人はお金を使うことが嫌いなので、いくら稼ごうとも月の生活費5万円くらいの暮らしを崩したことがありません そして、それで十分幸せを感じて生きています』ひろゆき(2チャンネル開設者)

 ひろゆき氏がすごいなと思う点の一つは。、若いころから自分がどんな生活をしたいか見極めて、収入の少ないころから、それを実践して、月に5万円で自分がしたいと思う生活を実現してしまったということ。

 

 だから、収入が増えようが、資産が増えようが、今の暮らしを変える必要はないのです。

 

 一方、大抵の人はお金の無い暮らしをあくまで「仮の暮らし」として、将来はもっと稼いで車を買い、大きな家を買い、大きな犬を飼い、と今とは違う将来を夢見て、今の貧乏暮らしはあくまで、将来の為の我慢の期間ととらえています。

 

 若い頃、そして今を犠牲にして、将来、いわゆるリッチな暮らしをしようと考えるのです。

 

 一方、ひろゆき氏は若い頃や、今を将来の為に犠牲にしようと言う考えがないので、お金が無くても無いなりに自分がしたい理想の暮らしを、実現してしまったのです。

 

 自分が楽しいと思うことを仕事にし、毎日起きたい時間に起き、やりたいことだけやって、眠りたいときに眠る。

 

 お金はないかもしれませんが、既に王様です。高級車や豪邸はなくてもすでに豊かな暮らしです。

 

 だから収入が増えたり、資産が増えたりしても、生活を変える必要がないのです。

 

 一方で世の中の人は収入に併せて生活費を上げてゆくものだと思い込んでいるようで、収入が増えれば、買い物に行くスーパーが西友から、ヨーカドーになり、最終的には成城石井になったりする。

 

「いいえ、わたしは貯めていますっ」という人も、何のことはない。家を買う為に貯めていたり、子供の学費のために貯めていたり、老後の為に貯めていたりする。

 

 結局はお金がなくては実現できない幸福のために貯めていて、お金が無くては幸福になれないと思い込んでいるのは同じです。

 

 幸福になるなら、将来ではなく、今、なりましょう。

 

 身につけるべきは収入を増やすスキルではなく、お金が無くても幸福に生きるスキルです。

 

 ひろゆき氏の言葉は経済成長を伴わない時代に生きる我々に新しい生き方を教えてくれているのです。

 

『本当に賢い人は、妙なレッテルが貼られているものでも食わず嫌いなことはせず、自らの目で確認して理解します 逆にバカな人というのは、貼られたレッテルをそのまま信じ、その情報を鵜呑みにします』ひろゆき(2ちゃんねる創始者)

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『本当に賢い人は、妙なレッテルが貼られているものでも食わず嫌いなことはせず、自らの目で確認して理解します 逆にバカな人というのは、貼られたレッテルをそのまま信じ、その情報を鵜呑みにします』ひろゆき(2ちゃんねる創始者)

 

 ひろゆき氏は買い物をしないことでも有名です。過去には、月に5万円で幸せに暮らせるとも発言しています。

 

 これはレッテル=(イコール)値札だと考えれば、彼があまりお金を必要としない生活ができることの理由が見えてきます。

 

 ひろゆき氏はモノを売る側が付けた値札を通さず、その都度、自分でその価値を見極めているのではないでしょうか。

 

 現代社会では、モノの価値のほとんどは相対的なものです。例えばバッグの価値が1だとすると、ブランドバッグの価値は100や、時には1000もするのです。

 

 バッグとしての機能を手に入れるに1支払うだけでこと足りるのに、ブランドの部分に、多くの人は99、時には999余分に払うのです。

 

 そのブランドの価値とはなんでしょう。それは企業が社会に刷り込んできた幻想の共有です。みんながこのブランドバッグは100万円の価値があると認めているので、100万円の価値があるのです。

 

 しかし、ひろゆき氏にとってみんなが決めた価値は関係ありません。バッグとしての機能は1万円の価値だと自分自身が思えばそのバッグは1万円の価値しかありません。他人の価値感には惑わされないのです。

 

 その結果、彼はバッグとして1万円の価値があるブランドバッグではなく、普通のバッグを躊躇なく選べるのです。

 

 それは人にも適応されているのだと思います。

 

 普通の人は、この人は大学教授だと言われれば、賢い人だと考えますが、ひろゆき氏は話してみて、話が論理的ではないなどと感じれば、相手がどんな地位にあっても、この人は「馬鹿だ」と判断するでしょう。

 

 その都度、自分で判断するのは簡単ではありません。

 

 逆に、世間に張られたレッテルを鵜呑みにしていけば、楽です。

 

 もし騙されていたとしても、大丈夫。

 

 騙されたのはあなただけではなく、同じように考えることをやめたくさんの愚か者も一緒です。みんなで泣き言を言って終わりです。

 

 ただ、それでは嫌だという人は、その都度、しっかり判断しなくてはなりません。間違えた時も、騙されたときも一人です。

 

 しかも、大学教授を指さして「馬鹿だ」と言えば変わり者呼ばわりされるでしょう。実際、ひろゆき氏は礼儀のなっていない変わり者だと思われているようです。

 

 もちろん、大学教授が「馬鹿だ」とわかっても、口にせず、そっと離れるという方法もあるのですが。

 

 自分で価値を判断する人だけが、世間から押し付けられたお仕着せの人生ではなく、本当の自分の人生を生きられるのです。

『これからのリッチライフに必要なのは、お金じゃなくて宝を掘り出す審美眼と労力である。』稲垣えみ子(アフロヘアの超節電生活者)

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『これからのリッチライフに必要なのは、お金じゃなくて宝を掘り出す審美眼と労力である。』稲垣えみ子(アフロヘアの超節電生活者)

 

 人間にとって宝さがしという行為が楽しくないわけがない。

 

 人類の歴史600万年のほとんどは狩猟採集時代。人類が農耕を始めて小麦で7000年、稲作で5000年程度、農耕の期間を1万年と多めに見積もっても、せいぜい人類の歴史のたった600万年と比べれば、たったの600分の1。

 

 人類の長い歴史からすれば、農耕など、最近、始まったと言っても過言ではない。

 

 狩猟=釣り、ハンティングは今でも大きな娯楽だし、ゲームに釣りをしたり、モンスターをハンティングしたりするものが多いのも、それが人類の本能に訴える娯楽だからだ。

 

 そして採集。これはそのまま宝さがしだ。熟した果実は期間限定のお宝だし、木の実や、キノコの群生は宝の山だ。

 

 人類は長い狩猟採集生活の中で、宝さがしを楽しいと思うように本能に植え付けられている。

 

 しかし農耕が始まって以降、人類の多くは、宝さがしから離れてしまった。楽しかった狩猟採集生活から離れ、鍬を持ち黙々と体を動かす、下の人間は指示を受けて黙々と働き、上の人間は他人を監督するという仕事を負わされた。

 

 生きるためとはいえ、楽しかった狩猟採集は取り上げられ「労働」という苦役が課された。そして、人類は富を蓄積していった。

 

 現代でも、人々は鍬を持つ手をマウスとキーボードに置いて黙々と「労働」をしている。しかし、とても幸せそうには見えない。

 

 その上、先進国では経済成長は行き詰まっている。「労働」しても富が増えない時代がやってきたのだ。

 

 頑張っても豊かになれるのはごく一部だ。富を独り占めしている人たちも幸福にはみえない。それはそうだ。今や他の人と比べてより多くの富を持っているかどうかが、豊かさのモノサシになってしまったのだから。

 

 十分にものが行きわたってしまった社会では、富は他人に見せつけるだけのトロフィーに成り下がってしまった。

 

 だから、僕はそんな競争からは降りてしまおうと思う。本当に必要な分だけ稼いだら、あとは本当に自分がやりたいことをやるんだ。

 

 僕はただ必要なモノを買うだけの買い物は好きではないが、スーパーで半額シールが張られた商品の中から掘り出し物を探すのは大好きだ。

 

 そうだ。それは宝さがしだから、楽しいのだ。