『本当に賢い人は、妙なレッテルが貼られているものでも食わず嫌いなことはせず、自らの目で確認して理解します 逆にバカな人というのは、貼られたレッテルをそのまま信じ、その情報を鵜呑みにします』ひろゆき(2ちゃんねる創始者)
『本当に賢い人は、妙なレッテルが貼られているものでも食わず嫌いなことはせず、自らの目で確認して理解します 逆にバカな人というのは、貼られたレッテルをそのまま信じ、その情報を鵜呑みにします』ひろゆき(2ちゃんねる創始者)
ひろゆき氏は買い物をしないことでも有名です。過去には、月に5万円で幸せに暮らせるとも発言しています。
これはレッテル=(イコール)値札だと考えれば、彼があまりお金を必要としない生活ができることの理由が見えてきます。
ひろゆき氏はモノを売る側が付けた値札を通さず、その都度、自分でその価値を見極めているのではないでしょうか。
現代社会では、モノの価値のほとんどは相対的なものです。例えばバッグの価値が1だとすると、ブランドバッグの価値は100や、時には1000もするのです。
バッグとしての機能を手に入れるに1支払うだけでこと足りるのに、ブランドの部分に、多くの人は99、時には999余分に払うのです。
そのブランドの価値とはなんでしょう。それは企業が社会に刷り込んできた幻想の共有です。みんながこのブランドバッグは100万円の価値があると認めているので、100万円の価値があるのです。
しかし、ひろゆき氏にとってみんなが決めた価値は関係ありません。バッグとしての機能は1万円の価値だと自分自身が思えばそのバッグは1万円の価値しかありません。他人の価値感には惑わされないのです。
その結果、彼はバッグとして1万円の価値があるブランドバッグではなく、普通のバッグを躊躇なく選べるのです。
それは人にも適応されているのだと思います。
普通の人は、この人は大学教授だと言われれば、賢い人だと考えますが、ひろゆき氏は話してみて、話が論理的ではないなどと感じれば、相手がどんな地位にあっても、この人は「馬鹿だ」と判断するでしょう。
その都度、自分で判断するのは簡単ではありません。
逆に、世間に張られたレッテルを鵜呑みにしていけば、楽です。
もし騙されていたとしても、大丈夫。
騙されたのはあなただけではなく、同じように考えることをやめたくさんの愚か者も一緒です。みんなで泣き言を言って終わりです。
ただ、それでは嫌だという人は、その都度、しっかり判断しなくてはなりません。間違えた時も、騙されたときも一人です。
しかも、大学教授を指さして「馬鹿だ」と言えば変わり者呼ばわりされるでしょう。実際、ひろゆき氏は礼儀のなっていない変わり者だと思われているようです。
もちろん、大学教授が「馬鹿だ」とわかっても、口にせず、そっと離れるという方法もあるのですが。
自分で価値を判断する人だけが、世間から押し付けられたお仕着せの人生ではなく、本当の自分の人生を生きられるのです。