『以前、労働者は15時間も16時間も、18時間も働いていました。もうこれは100年ぐらい前のことですけれど。それで、ちょっと頭のいかれた人たちが闘争を始めました。労働者は8時間働いて、寝る時間が8時間必要だと。そして、それ以外の時間も8時間必要だと。』ホセ・ムヒカ(世界一貧しい大統領)

『以前、労働者は15時間も16時間も、18時間も働いていました。もうこれは100年ぐらい前のことですけれど。それで、ちょっと頭のいかれた人たちが闘争を始めました。労働者は8時間働いて、寝る時間が8時間必要だと。そして、それ以外の時間も8時間必要だと。』ホセ・ムヒカ(世界一貧しい大統領)

logmi.jp

 

 この言葉からわかるのは、8時間労働ですら、何十年も前の労働者の先輩たちが、闘って勝ち取ったものだということ。

 

 そして、それを要求した人たちは、頭のいかれた連中だと思われていたこと。

 

 きっと言われていたのだろう。

 

 8時間労働なんかで経済が回るわけがない。

 

 8時間労働なんてナマケモノの考えることだ。

 

 8時間労働なんて導入したら我が国は世界の競争に負けて、外国に支配されるようになる。

 

 共産主義者めw

 

 では今、頭のいかれた連中はどこに行ってしまったのだろうか?

 

 もはや労働時間の削減は十分なのだろうか?

 

 3時間労働や、週休5日を掲げる人たちはどこにいるのだろうか?

 

 労働組合がそんな要求を掲げているという話は聞いたことがない。いや、労働組合は衰退してしまった。

 

 だからと言って、労働条件の改善のために、火炎瓶を持って闘っている人がいるわけでもない。

 

 では今、頭のいかれた連中はどこにいるのだろうか?

 

 実はそこらじゅうにいる。ネット上にもいる。

 

 消費至上主義に踊らされることなく、必要なモノだけ買い、労働こそ至上主義に踊らされることなく、必要な分だけ働き、自分の人生の時間を、自分が必要だと思えるものに使い、幸福に生きている人たちだ。

 

 きっと、労働運動はより、草の根的になったのかも知れない。

 

 働き方の改革は、法律よりもずっと先に個人個人の意識の中から始まっているのかもしれない。

 

 人口が減れば国が亡ぶという偉い人たちの声の中で、子供の数が減ったのも、僕らは子供を産まないとにした、僕らは個人として生きたいように生きる、という人々の意志の結果だし、会社組織に滅私奉公する人が減ったのも、人々の意識の変化の賜物だ。

 

 デフレで物価が下がり続けているのも、物の価値は売る側の都合で付けられた付加価値やブランドではなく、消費者として必要性を感じるか、また、その実用性や本質的価値だという意識の表れかもしれない。

 

 そう考えると国民年金額の6万5千円で生きることを実践する自分も、安い鶏むね肉の美味しい調理法を紹介するユーチューバーも、経済成長至上主義に対抗し、人々を労働の楔から解放する頭のいかれた連中の末裔なのかもしれない。

 

 ここ数十年、日本は大して経済成長していないが、みんなそこそこ幸せに暮らしてきた。

 

 そう考えると経済規模では中国に抜かれ、その差は広がるばかりだが、これからも個人個人の意識の持ち方次第で、経済的には豊かではなくても、幸福に生きられると思えてくる。