『私は 『最も貧しい大統領』と呼ばれていますが、貧しいと感じていません。貧しい人たちとは、優雅な暮らしをし続けるためだけに働き、常により多くを望む人たちのことです』ホセ・ムヒカ(世界一貧しい大統領)

『私は 『最も貧しい大統領』と呼ばれていますが、貧しいと感じていません。貧しい人たちとは、優雅な暮らしをし続けるためだけに働き、常により多くを望む人たちのことです』ホセ・ムヒカ(世界一貧しい大統領)

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 ホセ・ムヒカ氏を『最も貧しい大統領』と呼ぶことについて、日本でもいろいろな議論がある。

 

「貧しいのではない、清貧なのだ」

 

「いや知足、足ることを知る大統領と呼ぶべきだ」

 

 僕も「貧しい大統領」がパーフェクトだとは思わないが、「貧しい」以上にインパクトがある形容詞は思いつかない。

 

 清貧では何だか「厳しさ」がかってしまって好々爺な感じを漂わせるムヒカ氏に合っていないとは思うし、「知足」ではそもそも知足の意味を知らない人も多いだろう。それに日本語ではなく、もはや漢語でアジアの反対側のウルグアイの大統領につける形容詞としてはしっくりこない。

 

 やはり入り口としては「貧しい大統領」で、できるだけ多くの人にインパクトを与えて興味を持ってもらい、その後、貧しいだけでは表現できないムヒカ氏の魅力を知ってもらいたいと思うのです。

 

 そして「貧しい大統領」が貧しい人だと感じるのは「優雅な暮らしをし続けるためだけに働き、常により多くを望む人たち」

 

 これは先進国で人並みの生活(発展途上国の庶民から見れば優雅な暮らしだろう)を維持するために、競うように必死に働き、格差が開こうが、原発が爆発しようが、若者たちがとても子供を産み差だてられないと嘆こうが、常に今日より経済的に豊かな明日を迎えるという経済成長神話(常により多く)を求め続ける日本のありようを批判しているように思える。

 

 僕らはもうそろそろ本当の豊かさを目指す頃合いなのではないだろうか。

 

 いや、その前にまず、本当の豊かさとは何か、考え直すところから始めなくてはいけないのかも知れない。