『スーパーマーケットではなんでも買うことができます。しかしながら、人生の何年間というものをスーパーマーケットで買うことはできないのです。』ホセ・ムヒカ(世界一貧しい大統領)

『スーパーマーケットではなんでも買うことができます。しかしながら、人生の何年間というものをスーパーマーケットで買うことはできないのです。』ホセ・ムヒカ(世界一貧しい大統領)

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『スーパーマーケットではなんでも買うことができます。しかしながら、人生の何年間というものをスーパーマーケットで買うことはできないのです。』ホセ・ムヒカ(世界一貧しい大統領)

 

 この言葉は、ぼくは完全に正しいとは考えません。

 

 例えば、大型スーパーで家電製品も販売していたとすると、食洗器が買えます。全自動洗濯機が買えます。ルンバのような自律型掃除機も買えるでしょう。

 

 それはある意味、皿洗い、洗濯物干し、掃除などの家事の時間から、人生の時間を取り戻してくれるアイテムと言えます。

 

 また、リモートワーク用のパソコンを買って、通勤から人生の時間を取り戻すというのもあるでしょう。

 

 しかし、まぁ、これらはぼくの語りたい本筋ではありません。

 

 スーパーマーケットでは何でも買えるが、人生の時間は買えない。ここまではいいのですが、ムヒカ氏には消費社会を痛烈に批判したこんな言葉もあります。

 

『君が何かを買うとき、お金で買っているのではない。お金を得るために費やした人生の時間で買っているのだ』ホセ・ムヒカ(世界一貧しい大統領)

 

 つまり、スーパーマーケットではあなたは買っているのではなく、あなたの人生を売って品物を手に入れていると言えるわけです。

 

  ですから、ムヒカ氏の2つの言葉、

 

『スーパーマーケットではなんでも買うことができます。しかしながら、人生の何年間というものをスーパーマーケットで買うことはできないのです。』ホセ・ムヒカ(世界一貧しい大統領)

 

『君が何かを買うとき、お金で買っているのではない。お金を得るために費やした人生の時間で買っているのだ』ホセ・ムヒカ(世界一貧しい大統領)

 

 これをかけ合わせれば

 

「スーパーマーケットでは何でも買うことができるが、人生の時間を買うことはできない、しかし、あなたが人生の時間を売ることはできる。あなたが品物を手に入れるために支払うお金は、あなたが大切な人生を切り売りして手に入れたものだから」

 

 ということにでもなるのでしょうか。

 

 我々のように親からもらった莫大な財産があるわけでもなく、メジャーで活躍したイチロー選手のように自分のやりたいことを突き詰めたら、莫大なお金を得ることができたという幸運な人でもない限り、お金は自分の人生を切り売りした、いわば人生の時間にも等しいものです。

 

 そう考えると僕らは、何かを買うと言う行為にもっと真剣に向き合わなくてはならないと思うのです。あなたはどう思いますか?