長嶋一茂と禅・瞑想・マインドフルネス

「ボクはね、毎日朝、必ず“瞑想”やっているんですよ、でも不安とか悩みはゼロにはならない。物欲まで消そうとは思っていないので。悟りを開くまではできないけど」

「座禅組まなくてもこんなふうに座っていても、ベッドで寝てても立ってても、瞑想ってどこでもできる。大事なのはイメージなんですよ。イメージング」

「パニック状態になる人っていうのは、吐く息が短い、呼吸が荒くなっている。要するに呼吸で吐くことは、脳のデトックスですよ。人間というのは出すのが先、出せば入ってくる。脳のデトックスを先にすると、入ってくるんです」

(Asagei+より)

 

 正直、個人的には長嶋一茂さんにはいいイメージを持っていなかったので、彼がこんな瞑想に対する考え方を持っていたと知って驚いた。ぼく自身の瞑想感ととても近いものを持っていたから。体格にも父親にも恵まれたボンボンのお坊ちゃんだと思っていたが苦労は多かったのかも知れない。

 父親があそこまでの人間だと世間からのプレッシャーは相当なものだったのだろう。苦しんでいない人が「禅」を学ぼうとはしないだろうから。

 

「ボクはすごくネガティブなイメージを持って瞑想するんです。死の瞑想をするんですね。毎朝、虎とかライオンとかに、殺されて、頭がガリガリかじられて、五体がバラバラになって、血まみれになって死ぬっていう瞑想をするんです。それで1回死ぬんです。でも、その変わり朝起きたことに対してお祈りはするんですよ、生きてることに感謝するんですね。そして、その後死ぬんです。そうすると、ああ自分はやっぱり生きてて良かった、とか。昨日のこととか、ゼロではないけど、だいぶボクはそれで解消されます」(Asagei+より)

 

 一度、死ぬということが死やその他の恐怖と向き合う方法の一つだと思うので、この瞑想法にも共感できました。

 たしか「死ぬのが怖けりゃ一度死ね」と言ったお坊さんがいました。

 ぼく自身も「生涯最後の一呼吸」というイメージで呼吸に集中して瞑想したり、「死んで(吐いて)、吸う(生きる)」というイメージで呼吸したりすることがあります。

 それで物事に集中したり、新たな気持ちで生きられたりできるような気がするのです。

 

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